質問コーナー

【疏水について】

Q.ほかの都道府県に琵琶湖疏水のような疏水はありますか?

同じ時期にできた疏水に福島県の安積疏水(あさかそすい)、栃木県の那須疏水(なすそすい)というのがあります。
安積疏水は、主に農業用水路として明治12年に建設が始まり、明治15年に通水式が行われました。
京都府の北垣知事は、明治14年に安積疏水の建設の視察に出向いています。

【工事について】

Q.なぜ竪坑を長等山の真ん中にほらなかったのですか?

 深さ47mの竪坑を掘るのはとても大変でした。現代のような工事用の機器や専用車があるわけではなく、人間の力で掘り進めなくてはなりません。硬くて掘り進めない、また掘り下げたところから湧水が出る…等など多くの困難と立ち向かわねばなりませんでした。もし、山の真ん中ならば、70m以上の深さを掘る必要があり、さらに困難を極めます。当時の技術では不可能であったかもしれません。測量による結果を踏まえて山の中央よりは随分西口よりの現在の竪坑の場所が選ばれたと考えられます。

【疏水船について】

Q.なぜ、船をやめたのですか?

 時代の流れとともに、疏水船の役割が変化していきました。疏水ができたころは、疏水船も大人気でした。その頃は、鉄道はあまり発達していませんでしたが、徐々に鉄道が発達し、またその後の車社会の到来でとうとう船の必要性が無くなっていきました。そのため、疏水船は、昭和26年を最後に運航を取りやめることになりました。

Q.疏水船復活について。どうして新船を開発したのですか?

 疏水船の復活は、これまでにも何度も議論されてきました。様々な課題を乗り越えなくて張らなず、なかなか実現にはいたりませんでした。
 しかし、多くの人々の願いや努力が実り、ついに2015年に念願の試験運行が実施される運びとなりました。
 写真は、2015年3月28日、試験運行初日の様子です。この日は、快晴で疏水船は地元の方や関係者、報道陣などたくさんの人々に見守られ、大きな拍手を受けて第一便が大津を出航しました。この時の船は京都市上下水道局のボートを少し工夫したものでした。それから、本格的に疏水船復活の準備が始まりました。新船も本格的に開発されました。67年ぶりの舟運は、観光で楽しむことを目的とされています。そのため、船にも様々な工夫と配慮がなされています。屋根が透明の新船では、第1トンネルの通過時に、竪坑から湧水が落ちてくるのを体感できます。
 ちなみに、第一疏水竣工当時(明治23年)は、荷物運搬の役割も担っており、多くの荷物が大津と京都の間を行き来しました。さらに鴨川運河(明治27年)ができあがると、琵琶湖疏水で滋賀と大阪が結ばれることになりました。

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びわ湖疏水船試験運行の様子(2015年3月28日)

【水について】

Q.近くに琵琶湖がない地域ではどこから水道の水源はどうしているか?

 とても鋭い質問です。
 水をどのようにして供給するかは、地域の実態によって異なります。川や地下水などそれぞれの地域で上水道の水源は違います。

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